毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

今週のお題「母の日」

毎年、辛い日です。

母になれなかった自分を憐れむ日、でもあります。

 

もともとは、死んだ母親をしのんで、生きてる間に感謝を示そうという意味合いで始まったイベントだったと思います。

 

子どもの頃、我が家では、父の日は祝うけれど母の日は完全無視でした。

イベントが好きな父となんにでもお金を使うことを厭う母。

プレゼントをあげてよろこぶか、喜ぶどころか文句を言われるか。

姉も私もよくわかっていたんだと思います。

 

結婚して姉は義母には毎年プレゼントを渡していました。母には一切なかったですね。

私も結婚した時、義母にプレゼントを買おうとしたら、夫に拒否られました。

義姉が長年渡していないから、そんなことしなくていいと。

 

残念ながら、母の日のイベントっていうのは一生縁がなかったですね。

 

現在の生涯出生率1.43 女性の生涯未婚率 約14.9% (厚生労働省HPから)

100人いたら15人は母になれなかった、またはならなかったということ。

 

商業的にはなくならないだろうけど、これだけ家族関係が多様化している時代に一律にどの家でも祝って当たり前、見たいにテレビなんかで特集するのはやめてほしいな。