毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

空っぽな自分を自覚して

これまでに私はどれだけの本を読んできたんだろう。

おとぎ話、昔話に始まって今日までの間、千や二千ではきかない。

 

子どもの時は1日1冊は読んでいた。高校生で手に取った新潮社の古典全集は、1か月かけて1冊しか読めなかったけど、勤めてからは月10~15冊、かけるところの30年、単純に計算しても5,6千冊にはなっていそうだ。

それだけ読んで何を学んできたんだろう。自分の頭に何が残っているかと問えば、むなしくなってくる。

特に勤めてからの読書は、ただ時間を潰すだけ、現実逃避するためだけに文字を追いかけていただけだったように思えてきた。

一人の時間に何をしていいかわからないから本を開く。それ以外にすることが思いつかなかっただけ。ストーリーも本で得た知識も記憶から消えている。

 

空っぽの自分がいるだけ。

 

何もかも捨てて、失くして、そぎ落として、最後に残っているのは夫だった人への思いだけとは。

 

彼との思い出にまだしがみついている自分が情けなくもあり、私の自我の最後のよりどころ、心の支えでもある。

結局、彼への思いだけが本物だったと心にしまって、人生を終えるんだろうな。