毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

母のメイ言(10代編)

母から言われた言葉をもう一度思い出して、考えてみた。 

 

「お前が生まれることを周りは誰も喜ばなかった。堕ろせって言われたけど、お父さんが産めって言ってくれたから産んだ」

 

10歳くらいの時に繰り返し母から言われた言葉です。私の存在全否定されたこの言葉にずっと呪縛されていました。

 

「もう(お菓子なんか)作るのやめたら。お菓子なんか買ってくればいい。」

高校生でお菓子作りに興味を持って、初ゼリー作りに挑戦した時の言葉です。

寒天の量を間違えて、確かにできはひどかったんですけどね。

もちろん、その後お菓子を作ったことはありません。

 

「こんなもの、家にいくらでもあるわ。無駄なことに金を使うな」

修学旅行で買ってきたお土産を見せた時の言葉です。

新婚旅行をはじめとして、その後の旅行で母に土産を買ったことはありません。

 

「コーヒーカップなんか家にいくらでもある。こんな高いもの買って、無駄遣いするな」

姉にちょっとしゃれたコーヒーカップを誕生日プレゼントとしてあげた時の言葉。

姉がこのカップを使うのを見たことは一度もありません。

 

「お金を渡してあるのだから、必要なものがあれば買えばいい。なんでわざわざ高い送料払って送らなくちゃいけないの?」

大学の寮で周りの人たちに次々と親元から食べ物が送られていた、と帰省した時に話した際の母の感想。

 

「こんな汚いからだを見せたら百年の恋も冷めるわ」

学生時代、帰省すると母は必ずお風呂で背中を洗ってくれた。そのたびに言われた言葉だ。

 

否定されてばかりだったのかな。でも一度も口答えしなかった。できなかったんじゃなくて、反論すること、反抗することを思いつかなかっただけ。

彼氏と別れさせられていた時でさえ、文句ひとつ言えなかった。黙って受け入れた。

 

今とは時代が違うから、ほめて伸ばす教育なんてほぼなかったし、親は子どもを叱るのが仕事みたいな時代だったとは思うけど、母の言動は普通の親の範疇に入るのでしょうか。私の受け止め方がおかしかったのでしょうか。