毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

成人式の名簿に載らなかったことをまだ引きずっている

今年の成人式は、全国的にいいお天気の中行われているらしい。

もっとも3連休になってから、昨日の日曜日に式典を行う自治体の方が断然多いみたいだ。親元を離れている人たちにとっては、その方が参加しやすいのだから、当然といえば当然のことだろう。

 

3割の成人が式には参加しないと回答しているとネットニュースが掲載していた。

私は自分で参加、不参加を決められるだけいいな、と思ってしまう。

自分で選択できたことを羨ましく思う。

 

私には参加する場所がなかった。父の死の瀬戸際で参加できる状況でもなかったけれど、欠席することさえ自分では決められなかった。

 

当時大学生だった私は、住民票を大学のある京都に移していた。

京都の成人式は申込制で、地元生から教えてもらった時にはとうに申込期限が過ぎていた。

そして、冬休みに帰省したら父は病床に臥していた。

 

住民票がなくても地元自治体では申し出れば参加できたがその調査が行われたのは、私の帰省のずいぶん前だったそうだ。

母は、娘の成人式を申し込むなんてことは思いつかなかったらしい。

姉の成人式は家族総出で大騒ぎしていたのに。

 

大したものでもないだろうけれど、記念品さえもらえなかった成人式。

 

「どうして申し込んでくれなかったの?」との問いに

「あんたは出席するつもりがないんだと思っていたわ」と答えた母。

 

私の気持ちを決め付け、自分を正当化する母の態度は成人式から始まったんではなかっただろうか。