毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

3回目の正月休み

心身ともにボロボロになり、これ以上母と暮らしていたら死ぬかもしれない、と家を逃げ出してから3度目の正月休みです。

はじめの正月休みは、逃げ出して間もなくのこと。自分の苦しみと向き合うため出版するあてもない原稿を書いては泣き、泣いては書いていた。

 

去年の休みは、何をしていいかわからずただひたすらビデオを観ていた。

そして正月、母、姉に言い負かされて、不眠症が復活し負のスパイラルに陥っていた。

 

あれから母とは全く顔を合わせていない。

私は正月に姉とばったり玄関で顔を合わせた後、玄関から家に入れなくなった。いつも勝手口のドアを開けて家に入る。心の弱さの現れだとわかってはいるものの、玄関から入る勇気が出ない。

悔しいけれど、長年二人の顔色を窺って暮らしてきた私には、二人に逆らうなとDNAに刻まれている気がする。

 

もっと早くに逃げ出して、縁を切っておけばよかったのだと、相変わらず後悔しきりの日々を送っています。