毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

祝?引っ越し2年

2年前、私は心身ともに疲れ切っていた。

 

離婚した時に「30年後一人でいても後悔しない」と自分に呪いをかけた。

本当は離婚なんかしたくなかったのに、自分の気持ちを口にすることができなかった。夫の望みをかなえること、夫に再び笑顔を取り戻してあげること、周りから毎日責められる状態をなくすことしか考えていなかった。ただ、楽になりたかった。

実際は新たな地獄が始まっただけ。恋しい人の姿を見ることも声を聴くこともできない日々の始まりだった。

 

30年間、母に尽くし母とともに信仰に生き、振り返れば空っぽの人生だった。

そして呪いの発動。

自分がいかに愚かであったかに気づいたとき、私は母に長年の不満を口にしていた。

親孝行な、よいこの仮面を脱ぎ捨てたら、いろいろなことが見えてきた。

母とのやり取り、バトルは拙著「毒母育ちの私が家族のしがらみを捨てるまで」に詳しく書いたから、もう思い出したくもない。

 

これ以上、一緒にいたら死ぬかもしれないと思うほど心身ともにボロボロになり、母から逃げ出すように引っ越して早2年。

思い出せばもう2年も経ったのかとも思うし、あれからまだ2年しかたっていないのか、とも思う。

 

今は別のことで心身ともに疲れているけど、それは一時的なこと。通り過ぎれば笑い話にできる嵐のようなもの。

でも結婚と離婚は私が生きている限り、笑い話になんかできない。

母に奪われた私の結婚生活を思い出し、後悔し、泣き続ける。