毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

ようやくお盆ムードが消えた

墓参りは家族の行事。

家庭を持つ人は、「仕事している方が楽だ」なんて言いながら毎年、当然のように休みを取り、家族との時間を過ごす期間。

 

一人で墓参りをするようになって何年たっただろう。

にぎやかな家族連れを見るたびに、それを当たり前だと思っている人々を羨ましく思う。

 

夫と母、姉夫婦と墓参りに行った時のことを毎年思い出す。

 

母方の墓地に車を停めてお墓に向かった。

お花や線香を捧げて、ふと横を見ると夫の姿がなくなっていた。

どこに行ったのかと周りを見渡すと、少し離れた木の陰に母と二人で立っていた。

何を話しているのか楽しそうに笑っている夫。

数歩先では妊娠したばかりの姉に寄り添う義兄、片時も離れない二人の姿が羨ましかった。なぜいつも、私のそばにはいてくれないのだろう、なぜ母とばかり話をするのだろう、寂しさが込み上げてくる。それでも姉夫婦が何も気づいていないことに安どした。

 

我が家の墓参りをすませた後、母は夫の実家の墓参りもと言っていたが夫は固辞した。

結局私は、夫の実家の墓がどこにあるか知らずじまいだ。義父の新盆に何もしなかったはずがないのに、私を実家に連れていくことはなかった。

 

もうこの頃には夫は私と別れることを考えていたのかな。だから親戚の集まりに私を連れて行く気はなかったのかな。

 

毎年、同じシーンを思い出し同じことを考える。なんの進歩もない私。

いつになったらこのループから抜け出せるのか。自分にこのループから抜け出す気があるのかさえわからない。

まだ、私の時間は止まったままだ。