毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

オリヴィア・ラング『The Lonely City』

「深い孤独を覚えるほど、人はその体験を終わらせたいと願うものだ。でも、そういう体験は単なる意思の力によっても、あるいは、別の何かを得ることによっても終わらせることができない。終わらせられるのは。誰かと親密な関係を築くことによってのみだ。とはいえ。言うは易く、行うは難し。特に。喪失や追放、あるいは偏見によって孤独を覚えている人はなおさらだろう。他人とかかわりたい、という強い憧れの気持ちと同じくらい、他人に対して強烈な恐怖や不信を抱えているのだから。

 

孤独を募らせるにつれ、人は社会にうまく適応できなくなっていく。そういう人の周囲には、カビや水垢のようにどんどん孤独が増殖し、本人がいかに人との接触を望んでも、周囲との交流を妨げることになる。孤独とは徐々に増加し、拡大し、はびこってしまうものだ。ひとたびとらわれたら、はねのけるのは決して容易ではない。」

                  オリヴィア・ラング『The Lonely City』より

 

『エレノア・オリファントは今日も元気です』という本の冒頭に引用されていた言葉です。この短い文章を目にしたとたん、真理だ、自分の状態を端的に表している、と感じ涙が止まりませんでした。

 

ラングという作者を知らなかったので、検索してみましたが残念ながら日本語には訳されていないようでした。Amazonによるとラングはコラムニストで、この本は850万都市の孤独についての本のようですが、Google翻訳で内容紹介を読んでもちょっと意味がつかめませんでした。どんな場面で書かれたものなのか、全体を読んでみたいと思いましたが、小説ではなさそうなので訳される可能性は低いのでしょうね。

 

最近どんな本を読んでも、毒母と娘とのかかわりを読み取ってしまいます。

幼いころからほぼ毎日、本を読まない日はありませんでした。強迫観念にかられるように、また時間つぶしのために、現実逃避のためが一番多かったように思いますけれど、今私の頭にどれだけの本の内容が残っているか。なんのために読書をしていたのかわからなくなってきました。