毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

30年5月15日

今日は別れた夫の誕生日。そして私の後悔が始まった日。

 

結婚して初めての夫の誕生日。ごちそうを作って祝う母。それを喜ぶ夫を目にし、何も聞いていなかった私は笑顔を作りながら悲しみに暮れていました。

夫が部屋に戻った後、夫が感激していたと自慢する母の言葉を聞いて私は母に嫉妬していました。

 

その数日前、二人で誕生日を祝おうと夫に提案して「お母さんは?」と暗に拒絶されました。それを私は、夫が私と二人きりになるより母といたいのだと受け止めました。

結婚してから全く二人きりになろうとしない夫に不安を感じて、必死の思いで話しかけたのですがあえなく玉砕してしまったんですね。

 

落ち込んで、プレゼントを買うことすらできませんでした。

 

毎年、5月15日が来るたびにあの時迷わずにお祝いしていればと、あの日のことを思い出し後悔し、心がざわつきます。