毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

楽しい、という感覚を失っていました

長年、漠然と「定年退職したら行きたいな」と思っていた場所に休暇を取って衝動的に出かけ、お土産を配っていた時だった。

「楽しかったですか」

何気ない職場の人の言葉に気づかされた。

私は楽しかったの?

出かけた場所は、何年も行ってみたいと思い描きガイドブックを何冊も読んでいた場所を含め、興味深い場所ばかりだった。

実際に足を運んだことで、好奇心は満足させられた。しかし、どんなに思い出しても楽しいと感じた時間はなかった。途中道に迷うなど小さなトラブルは何度もあり、その都度見知らぬ人に助けられありがたいとは感じたが、事前に立てた計画通りに行動しただけだったことに改めて気づかされた。船に乗っている時、まちを歩いている時、夫と二人でこの景色を見られたら、と何度思ったかしれない。

 

友人と食事をしていても時々ふと、一緒にいるのが夫だったらと思うことがある。だんだん食事に行く相手が少なくなったのは、こんな私と食事をして相手が楽しいはずはないからだったのかな。

 

楽しい、って感覚が思い出せない。最後に楽しいって思ったのはいつだったんだろう。

 

そんなことを鬱々と考えていた折に、とある科学館に行きました。

音楽に合わせて、動物のマークを踏む。単純なゲームに挑戦してみた。

♪カエルの歌が聞こえてくるよ…

簡単そうなのに、間違えると悔しい。再度挑戦。

♪カエルの歌が聞こえてくるよ…

成功して、レベルを上げていく。

何も考えずに音と光に合わせて体を動かした。

あ、楽しい。楽しいってこういうことだったんだ。

とても単純なことだったと気づいた瞬間でした。