毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

私の一人暮らしまでの道のり

 

 

 初めにこのまま、母と暮らしていたら自分の人生がやり直せないと気づいたのは、40直前のことだった。一人暮らし用のマンションを探してみたが、なかなか思うような物件が見つからなかった。マンションを探す私を黙ってみていた母が私に示した道は、母と暮らす家の新築。申し分のない場所を提示されて、黙って借金を背負い家を建てた。新居は私にとって「楔」以外の何物でもなかった。

 母の長年の希望だった街中の家を手に入れて、私の利用価値はなくなった。

10年が過ぎ「これ以上、母と暮らせない」と思う出来事があった。

 必死でマンションを探したものの、罪悪感から家を出ることができず結局マンションは解約。罪悪感に負けた私に勝ち誇る母。

 その後の原因不明の体調不良、不眠症による睡眠不足。

 1年後、ようやく私は一人暮らしを手に入れた。

 長年、絶対に無理だと諦めていたでも、心さえ強く持てばなんでもできるのだとわかった。

 家から持ってきたもの、家に置いてきたもの、新しく買ったもの。

 ずっとソファーに寝ころびたかったから、ソファー探しにはこだわった。店を5~6件は回っただろうか。横になると必ずウトウトしてしまうほど、居心地のいいソファーを見つけました。

 

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