毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

成田離婚だったのかな?

成田離婚:新婚旅行で相手を見誤っていたことを知り成田空港に帰ってすぐ離婚してしまうこと。90年代の流行語でこれをテーマにしたドラマもできた

 

 20年以上連絡も取っていなかったいとこに会いました。

昔話に花が咲きました。というより、現在の環境があまりにも違うからほかに共通して話すことがなかったのです。

 

 一人で暮らし始めた訳も話しました。母との葛藤の、一番の原因が私の結婚離婚に関することだということも。

 いとこは離婚について、私が初夜で夫を突き飛ばしそのまま成田離婚したのだと母から聞いていたそうです。

 母が夫を引き留めていたと言う、母の言葉を信じてうたがっていませんでした。

 

 だから、逆なのだと、母が夫を独占していたから夫婦生活を築くことができなかったのだとは、なかなか信じてもらえませんでした。

 

 その後、何度も考えました。

 もしかしたら、夫だった人にとっては母の言う通り成田離婚だったのかもしれません。

 新婚旅行で2日目から私に触れようともしなかったのも、旅行後まともに私と過ごそうともしなかったのも私との結婚生活を営む気がそがれてしまっていたのかもしれません。

 

 私は無言で突然のしかかってきた夫が怖くて、「いや」と言ってしまいましたが突き飛ばしたりはしていません。そもそも恐怖で動けなかったし。

 でも、彼にしたら私が夫婦になるのを拒絶したとしか思えなかったんでしょうね。

 

 私が結婚できた幸せに酔っていた頃、彼は何を考えていたのでしょう。

 話しかけてもまともに会話ができない、私にそばに寄ろうともしないと私が気づいた時には、彼に見限られていたのでしょうか。

母の呪縛から逃れられた?

母の存在を意識せずに暮らすことがこれほど楽なことだとは、想像もできませんでした。

母の存在がどれほど強かったのか、改めて思い知らされています。

 

頭のもやが消えてくると、過去の出来事を別の視線から考えることができるようにもなってきました。

 

これまでの、自分の言動がいかに異常であったのかもよくわかってきました。

それと周りが私をどう思っていたのかもちょっとだけ見えてきた気がします。

 

母の言うことを全部うのみにして、嫌なことを嫌と言えず、「どうして」と聞くこともできなかった。

母親に言われたことを、誰にも相談できなかった。

今考えれば、「おかしい」と思うことばかりです。

 

自分で考えることができなくなっていたことに気づくことができたら、これまでのこと別の側面から見えてきました。

少しずつ、そんなことを書いていきます。

皆さんからご意見、いただけるとありがたいです。

父に言いたいこと

幼いころからずっと、「私が我慢すれば争いは起こらない」と信じていました。

 

きっかけは、私が祖母に文句を言ったこと。怒った祖母が「お前の育て方が悪い」と母をなじり、私は母をかばい祖母をもっと怒らせた。

「私を思うなら、おばあちゃんに逆らわないで」と泣きながら私に言った母の姿が今でも忘れられません。

 

聞かれない限り家族に対し、自分の気持ちを言葉にすることを我慢することが正しいことだと思い込んで生きてきました。

家族に対しては、言いたいこと、自分がやりたいこと、やりたくないこと、不満に思うこと、何一つ言えず、自分で勝手に枠を決め、怒られないように、非難されないようにひっそりとその中で泳いでいたように思います。

 

家族の顔色をうかがって話したり、行動したりしていた。いっぱい我慢もしていたけれど、父が私の気持ちやそのときどきの言動の事情を聴いてくれていたから、私を愛してくれていること、何があっても守ってくれることを信じていられたから、自分を見失わずにすんでいたのかもしれません。

 

父が生きた年月を超えた今でも、私は父の子どもに生まれてよかったと思います。

 

父がいなくなって、誰も本当の私を見てくれていないことに私は気づかず、ただ、母の要求に答えることが正しいことと思い込んでいました。

どんなに意に染まなくても「私が我慢すればいいことだ」と。

でも、娘に犠牲を強いていることに全く気付かない親ってどうなんでしょうか。

 

ねえ、お父さん。

「お父さんの人生でたった一つ失敗したのは母と結婚したことだったね」と言ったら怒りますか?

【父の日】に父を思い出してみた

父は家族のかなめでした。

家のことは何もかも父が決めていたけれど、みんなが安心して暮らしていたと思います。

父が単身赴任で家にいなくなり、家族はばらばらになりました。

 

父が赴任先から戻ってからは、父の誕生日と父の日は我が家のイベントになりました。

姉とふたり、競って父にプレゼントを渡しました。

 

ちなみに、母のは40歳を境に誕生日を祝うな、と宣言したためスルーでした。

結婚指輪は勝手にはずしてはいけないものなのか?

結婚前、指輪をつけることを母に禁止されていました。

母曰く「指輪は結婚して初めてつけるもの」

 

旅行中は感じなかったけれど、日常生活では結構指輪って邪魔ですね。

事務仕事なら違和感だけだったかもしれないけど、ものを持ったりチェックしたりと手を使うことが多かったから、結婚指輪といえども指輪をしていると仕事がやりにくくなりました。

 

結婚指輪は、見ず知らずの人にも「私は結婚しています」とアピールすること。

幸せの象徴であるはずの結婚指輪が、私の場合マイナスにしか働きませんでした。

はめ慣れていないから一日中違和感があり気になって仕方がありませんでした。

仕事中、全然知らない人が「あんた、若いのに結婚しているのか」と声をかけてきたこともありました。

毎回「はい」としか答えようがなかったです。

からかい?単なる好奇心?いやらしそうな笑い方。

祝福しているようなプラスの意味には取れない口調でした。

たまたま出会った後輩にも指輪を見て、「人妻、人妻」とからかわれたし

先輩からも事あるごとに嫌みを言われました。

 

結婚指輪さえしていなければ、こんな嫌な気分を味あわなくて済むのかしら?

せめて、知らない人からの声をかけられるのだけでも防げるかしら、仕事中だけのつもりで指輪をはずしました。

 

たまたま、ネットで『僕の家においで Wedding』 美玲/著 というマンガを読んでいたら主人公が同じことをしていました。この夫婦もまだ関係を持っていないというのも私と同じ。

だけど旦那様の反応は大違い。結婚指輪をはずした妻を見て激怒するかっこいい旦那様でした。

その前に夫が指輪を嬉々としてつけているシーンもあったりして、ちょっと心が疼きました。

 

結婚指輪をしていたら「先生、結婚しているの」と6年生の女の子が言ってきた、と嬉しそうに話してくれた夫もそんな気持ちで指輪をしていたのかな、なんて初めて思った。

 

私が指輪をはずしていることに気づいた夫の反応ですか?

私に理由を聞くことも、文句を言うこともなく、気づいたら指輪をはずしていました。

 

互いにこんなことすら話せなかったら、別れるのは当然の結果ですよね。

そういうことがやっと理解できるようになりました。

今週のお題「母の日」

毎年、辛い日です。

母になれなかった自分を憐れむ日、でもあります。

 

もともとは、死んだ母親をしのんで、生きてる間に感謝を示そうという意味合いで始まったイベントだったと思います。

 

子どもの頃、我が家では、父の日は祝うけれど母の日は完全無視でした。

イベントが好きな父となんにでもお金を使うことを厭う母。

プレゼントをあげてよろこぶか、喜ぶどころか文句を言われるか。

姉も私もよくわかっていたんだと思います。

 

結婚して姉は義母には毎年プレゼントを渡していました。母には一切なかったですね。

私も結婚した時、義母にプレゼントを買おうとしたら、夫に拒否られました。

義姉が長年渡していないから、そんなことしなくていいと。

 

残念ながら、母の日のイベントっていうのは一生縁がなかったですね。

 

現在の生涯出生率1.43 女性の生涯未婚率 約14.9% (厚生労働省HPから)

100人いたら15人は母になれなかった、またはならなかったということ。

 

商業的にはなくならないだろうけど、これだけ家族関係が多様化している時代に一律にどの家でも祝って当たり前、見たいにテレビなんかで特集するのはやめてほしいな。

 

 

 

桜が綺麗だった

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少し散りかけの桜

今年は結構長く桜が咲いていた。

さすがにもう葉桜になってしまったけれど、満開の桜を純粋に綺麗だと感じました。

夫とお花見に行けなかった淋しさを思い出さずに、桜を見れたのは離婚して初めてかもしれません。

 

少しずつ気持ちが変化していることをこんな小さなことから感じています。