毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています

今の私が離婚報告の場にいたならば‥

そんなことを考えても無駄だし、虚しいことだと自分でもわかっているけれど、つい考えてしまいます。

 

言いたいことを全く言えなかったのは、私に勇気がなかったから。

そして、何よりも母や夫の言葉を他人の前で否定してはいけないと信じ込んでいたからにほかなりません。

 

今、離婚の時、24歳の自分を振り返ると「まともな精神状態ではなかった」としか言いようがありません。

なぜ、あんなことをしたのか、言ったのか。

全く自分の意思に反した言動を取らざるを得ないことを仕方がないことと考えていたのか。

 

何かを後悔した人が「自分を見失った」とか「流されてしまった」とかいうけれど、それよりもっと強い何かにすべてを決められていた感じです。

母の存在、私への影響力がいかに強かったのかを母から離れてひしひしと感じています。

 

 

もし、今の私が先生の前にいたならば、「抱かれたいと思ったことはないのか」との問いにこう答えます。

 

「私は、結婚したら夫の求めに応じるものだと思っていました。彼の子どもを産むのが私の夢でした。でも、二人きりで過ごしたこともなければ、夫に誘われたこともないのに、いつそんな気分になれると思いますか。関係を持つのが嫌な人と何年も付き合うはずがありません。まして、結婚するはずがないです。」

 

こんな当たり前のことすら言葉にできないほど、私の心は病んでいたし夫に信じてもらえなかったのだとようやくわかりました。

 

今日の気づき

「親の支配力は思考を止める」

私が訴えたかったこと、言うべきだったこと

離婚報告を媒酌人にしに行ったとき、夫が事情を延々話した後、突然私に

「抱かれたいと思ったことはないのか」

と聞かれた時に、夫の言葉を否定することになること、母の前で夫婦関係を話すことがためらわれて返事にとても困りました。

本当に言いたかったことを言えなかったこと、返事を間違えたことをずっと後悔しています。

本当はどう答えたかったのか、何を言うべきだったのかと繰り返し考えていました。

 

何度も何度も、あの時こういえばよかった、ああ言えればよかったと、言いたかったことを頭の中で考え続けてきました。

 

私は先生の質問の意味を間違えて受け取ってしまいました。言葉、そのままの意味に。

でも、先生が聞きたかったのは、私が夫と夫婦関係を持つ気があったかどうかだったんですね。その場で、そんなことさえわからないくらい自分の精神が病んでいたのだと今は分かります。

 

関係を持つことが嫌な人と何年も付き合うはずがないこと、ましてや結婚などするはずがないこと。結婚生活を送るために話し合いたかったこと、二人きりで過ごしたかったこと。

最後まで夫と、二人きりで話し合う機会がなかったのだから、夫に私の思いを伝える機会はこの離婚報告の時しかなかったのだから。

 

せっかく先生が私に話す機会を与えてくれたのに、夫の話を否定するようなことをいうことに躊躇して、結局嘘をついたわけではないけれど、事情を全く説明できなかったのは、母がその場にいたからでした。母には聞かれたくない、知られたくない、母の存在自体が私に強いプレッシャーを与えていたのだと一人になってひしひしと感じます。

 

母がいても言えたことはきっとこんな風です。

「抱かれたいというか、私は結婚したら旦那様の求めに応じてそういうことをするものだと思っていました。」

 

もし、母がその場にいなければ、その後こう続いたと思います。

「私はずっと私を妻として扱わないのが不思議で仕方がなかった。

お母さんとは二人で出かけるのに、どうして私とは二人で過ごそうとしないのか不思議で仕方がありませんでした。私は、せめて30分でも二人で過ごしたかった。スーパーでもいいから二人きりで出かけたかった。大好きな人が同じ家にいるのに、そばにいることができなくて、私はずっとさみしくて毎日のように泣いていました。

 

一度だけ、女の方から言ってはいけないとわかってはいましたが、そういうことをしたいときには、言ってくださいとお願いしたんです。でも何も言わないから、新しい学校で仕事が大変だから、そんな気分にならないのかなと思っていました。それでもいつかきっと妻にしてくれる日が来ると信じていました。

 

母が私たちの寝室を分けてからは、直接話をすることもできず何度も二人で話し合ってくれるよう、母に頼んでいました。

母の言いつけを守りながら、結婚生活を営むためにはどうしたらいいかを二人で話し合いたかった。

 

嫌な人と何年も付き合うはずがないし、まして結婚などするわけがありません。これからの人生を共に過ごしたかったから、彼の子どもを産みたいと思ったから結婚したんです。

 

でも、夫が私に興味を持たなかったのも当たり前だったんです。私が大それた夢を持ったのがいけないのです。妻と娘を同時にできないと三人で暮らし始めるまで気付かなかった。私がすべて悪いんです。」

 

これが、私が5年間考え続けてきたことの答えです。

 

泣くだけで何もできなかったあの頃の自分に文句を言っていいんだと言ってやりたい。

後悔しないためには、周りの人の思惑なんて気にしないで、自分の心に素直に行動するのが一番です。

こんな当たり前のことさえ、何度も本で読んでいても自分には当てはまらないとずっと思いこまされていた自分が情けない。

親がまともでないと気づくのが遅すぎた

昨日は元夫の65回目の誕生日。

家族でお祝いをしたのかしら。

 

毎年5月15日が近づくと結婚していた時の誕生日のことを思います。

二人で出かけて祝おうと誘ったけれど、やんわりと夫に断られたこと。

母が私には全く教えず、豪華な食事で夫の誕生日を祝ったこと。

それを夫がとても喜んでいたと、母が私に自慢したこと。

 

婿養子に来た人をもてなすのは当然のことで、優しい母だと思う人もいるかもしれないけど、特別なことをするのにそれを娘に一言も話さないのはどうなんでしょうか。

自分だけがよく思われたいとの思っての行動ではないでしょうか。

結果として、母のポイントは上がり、何もしない私はまた株を下げた。

 

新婚1日目に、朝、夫の世話を母がやりたいがために「邪魔だから起きてくるな」と言い放った時から、いえ何も言い返せず私がそれに従った時からでしょうか。

夫の私に対する評価は下降する一方で、母への感謝と評価だけがあがる構図ができていたことに当時は気づきもしませんでした。

結婚した娘の評価を上げるのに協力するのが母親ではないかと思うのですが、違うのかしら。

 

母の友人は婚家に娘を良く見せるため、毎週、娘を婚家の手伝いに行かせ、自分が娘の家を掃除しに行くと聞きました。

 

私の母は、私の株を落とすことはたくさんしました。夫から私への不満を聞いて、それをそのまま(?)私に伝えることは何度もしましたが、一度も私をかばう発言はしていません。してたら恩着せがましく私に言うはずですから。

それどころか事情も確認せずに私を非難し続けました。

 

母に親の愛情を求め続けた私がばかでした。

まともな親ではないと気づくのが本当に遅すぎました。

今更どうしようもないのですが、つい、母と一緒に暮らしていなければ、まともな夫婦生活が送れたと後悔してしまいます。

 

 

心を強く持ちたい

コロナの外出自粛とかもあって、最近何もする気になりません。

休みの日は、本を読み掃除をし、食事を作り食べたらまた本、またはマンガを読み‥

ネットを見て、だらだらと無駄に時間を費やしています。

 

何も考えたくないから、意識を別世界に持っていっているとでも言えばいいのでしょうか。

思い出してみると、結婚してからの日々、現実世界に立ち向かわずずっと本の世界に逃げていたように思います。

文字で入った知識や情報は、頭に入っては消えていき、私は何一つ学ぶこともなく、時間はどんどん過ぎていきました。

このまま朽ちてしまったら、母に支配され母の生活のためだけの人生になってしまいます。

 

ヒトとして生まれたら、自分の人生を自分のために生きていいのだと気づくのは遅すぎたけれど、せめてこれからでも少しは有意義だと思える時間を積み重ねていきたいとは思っているのですが、何をすることに意味があるのかがわかりません。

 

繰り返し同じことを後悔し、苦しい思いをすることが習慣になってはいけないと自分に言い聞かせています。

 

強くなれ、強くなれ、心を強く持て、と自分を励ましています。

 

 

ソフトクリームが食べたい!

5月に入り暑い日が続いています。

無性にソフトクリームが食べたくなって、買い物ついで寄り道しました。

 

が、ない!

どのお店もクローズ。

目当ての喫茶店も、スーパー併設のスイーツ屋さんもフルーツスタンドも。。。

みごとに臨時休業でした(泣)

 

仕方がないので、アイスクリームを買って牛乳を少し混ぜてかき混ぜ、ソフトクリームもどきを作り、美味しくいただきました。

 

ソフトクリームもどきを食べながら、昔はアイスクリームを買うことすできなかったのだとしみじみと思い出しました。

 

学生時代に買ったお菓子と言えば、ナビスコリッツのような安くて量のあるものばかり。それも月に1回も買っていなかった記憶があります。

アイスクリームなんて思いつきもしませんでした。

甘いものを買うようになったのは、バブルの頃からだったかしら?

 

就職して、月3万円貰って、半分は交通費に消えてほとんどボーナスで生活していたようなものですから。

その間、母は私の給料をせっせと自分の口座にいれていたわけですが。

 

せめて夫にアイスクリームくらい食べさせてあげたかったな、と後悔の念がしつこく消えません(笑)

二人で一緒に過ごしたことがないのですから、仕方がないことなのですが。

 

きっとアイスクリームやソフトクリームに私が執着するのは、そこに起因しているのかもしれません。

これからどんどん暑くなるのに、ソフトクリームが食べられる日はいつになるのでしょうか。

 

 

3月の連休に続きまた保菌者が地方にコロナをまき散らす

今年は24日からGWらしい。

家にいよう、とこれだけ声高に言われても、移動する人がやっぱりいる。

新幹線、飛行機ともに9割減だそうだが、1割でも何万人って単位ではないでしょうか?

 

連日テレビでは、海や山、パチンコ、ジムと「この状況でも出かける人」を流している。

コロナが怖いから帰省する、という人もいるけどこういう人たちは、自分が保菌者かもしれないという意識はないんでしょうね。

 

感染してなくても、洋服やマスク、車の外装とか。感染者がいっぱいいる地域なら空気中のウイルスが付着しているかもしれないから、まだ感染が広がっていない地方に来てほしくないのに自分が感染しないことしか考えてないな、って感じました。

自分が他人にコロナをうつすかもしれない、って考えないのでしょうね。

自分のことしか考えない、他人のことを考えるってことを思いつかないのは、子どもの発想?

 

3月の連休では、そういう人たちが都市圏から観光に行って、4月になったらそこの感染者が急増。地方都市に感染が拡大した結果緊急事態宣言が全国に広がりました。

 

自粛でこどもがかわいそうだからおじいちゃんおばあちゃんのところへ。

なんて気楽に帰省して、ウイルス置いてくることになるかもしれないなんてこと想像できないんでしょうね。

それで、親がコロナに感染して重篤になったら「こんなことになるとわかっていたら行かなかったのに」なんて、と後悔するの?

それとも親が死んだらラッキーって気持ちで帰省するのかしら?

 

私の旦那様だった人も自分のことしか考えない人だったのかもしれません。

私がどれだけ傷ついていたかも全く気付かず、私自身がそれを信じてしまうほどに、自分に非はないと周りにアピールしていました。

 

僕が悪いんじゃないよ、何とかちゃんが悪いんだ、と声高に叫ぶ子どもの姿が目に浮かびます。

 

お互いに子どもだったのだと、ようやくわかりました。二人して互いを見ずに親を見ていた私たちは、二人とも母の言いなりだったのです。

 

コロナのように毒をまき散らしていることに、私は全く気付いていませんでした。

デフォーの『ペスト』に学ぶ

コロナウィルスの騒動の中、カミュの『ペスト』が話題になっていた。

天邪鬼の私はあえてデフォーの『ペスト』の方を読んでみました。

デフォーが書いた『ロビンソン・クルーソー』は誰もが知っている作品なのに、作者の名前は案外知られていない気がします。

 

デフォーの『ペスト』は、1665年にペストが蔓延したロンドンの様子を、田舎に避難しないことを選んだ男の目を通して書いています。

 

最初に富裕層がロンドンを逃げ出し地方にペストを広めた。

残った人たちの様子は、今の状態にとても良く似ている。

 

病気を恐れ家に閉じこもる人。

自分だけは大丈夫と夜は街に繰り出し、いつも通りの生活を送り、ある日突然居酒屋でパタリとたおれてしまう人。

冷蔵庫がないから毎日使用人は市場に買いに行き、病気をもらってきて、主人一家も感染する。または使用人の介護を人に任せ、主人一家は地方に逃げ出す。

テムズ川に避難し船上での生活を選択した人。感染しなかった船もあれば全滅した船もあった。

 

誰もが他人のそばに寄らないように警戒する様子。

特効薬と称するものを売りつける詐欺師、終末を叫ぶエセ信仰者。

感染者を看護する人、死体を集めて回るたくましい人たち。

感染者が減り死亡率が下がると地方に逃げていた人たちが戻ってきて、警戒心を薄めた人たちが感染者と接し、せっかく逃げ延びていたのに収束間際に感染し一家全滅した話。

 

主人公の目を通し、ロンドンの様子が克明に描かれている。

 

デフォーはこの時5歳で、自身の体験でないことは確かだ。当時を生き抜いた人々への聞き取りや記録を相当調べて書いたことがうかがえる。だからまるで実際にあったことのような臨場感がある。途中にロンドン週報というおそらく新聞のようなものに掲載された死亡者数、感染者数があり、リアル感を増している。

 

興味深かったのは、デフォーの『ペスト』には、鼠の「ね」の字もないことだ。

あくまでロンドンの人々がどのように行動したか、噂話と主人公が見たことだけを淡々と描かれている。

 

小説ではあるが実際にあったと思えることばかりで、人は300年経っても変わらないことがよくわかる。

 

きっとこの後、コロナウィルスの収束の兆しが見えはじめ、緊張感と警戒心が緩んだ時にまた、感染者が増えるのかもしれない。

今起こっていることの振り返り、これから起こることの予言書としても読めました。

自宅で暇な時間を過ごす中、今の状況を克明に記録しておけば、300年後には立派な歴史史料になるかもしれませんね。