毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

ようやく入居者が決まりました

一昨年、母が家を出て行ってから不用品の処分やら、水回りの処理とか後始末が山のようにあって途方に暮れ、やることがいっぱいあって精神的にも肉体的にも金銭的にも、負担がのしかかってきました。

 

その後も空気の入れ替えをするため、家に足を入れるたび母の生活臭を感じて押しつぶされそうでした。

1年が過ぎた頃家の痛みを感じるようになり、不動産屋に賃貸を相談して半年以上かかりましたが、ようやく貸借人が見つかりました。

給湯器買ったり警報器買ったり、最終チェックで蛍光灯が切れているのが見つかったり。

準備はそれなりにバタバタしましたが、これでなんとか母の形跡をすべて消し去ってくれればいいなと思っています。

上野の大吉原展、見ごたえありすぎでした

3月初旬の予想だったら、満開の桜が咲き誇っているはずの上野に行ってきました。

目当ては大吉原展。

 

会場の芸大美術館へ行くため、公園を突っ切ろうとしたら、今までに見たことがないほどたくさんのテントが並んでいました。

まだオープンには時間があるのか、無人のテントもあれば、スタッフらしき人が忙しそうに動いているテントもありました。

舞台には「上野桜まつり」の文字。期間は31日までになっていましたが、後で聞くと1週間延長になったとのこと。まだ開花宣言出たばかりですものね。

肝心の桜は、こんな感じです。

芸大美術館には、開館10分前に着きましたがなかなかの行列。

そこに突然、笛の音が聞こえてきました。

音の鳴る方を見るときつね面の人がひょっとこ、おたふく面の人を従え踊りながら行列前にやってきました。

なんとウエルカムセレモニーだそうで。

きつねさん、息を弾ませながらもトークで開館時間まで並んでいる人を楽しませてくださいました。

展覧会は、浮世絵、写本がメインで、3階は吉原の通りに見立ててあって興味深いものでしたが、展示の多さ、広さに何度も休憩しながら会場をまわりました。

一番奥には辻村ジュサブローさんの人形とミニチュア展示。ここだけが写真OKでした。

会場を出て、上野公園に戻ると木の下はシートに覆いつくされ、人、人、人。

通路にキッチンカーも出ていて、場所によっては歩くのも難儀するほどの賑わいでした。

でも、桜ほとんど咲いてないし。

と思ったら、上野駅の中には満開の桜(造花)がありました。

上野駅構内の桜とパンダ

 

大好きな本だけど2冊はいらない

本好きの下剋上』完結後、老後の楽しみにとっておいた本の再読を再開しました。『デルフィニア戦記』をスタートにした茅田砂胡さんの一連のシリーズを読み終わり、小野不由美さんの『十二国記シリーズ』を読み進めています。

 

しかしこのシリーズ、前半はNHKでアニメ化されたこともあり、わりと記憶に残っていて、アニメで印象深かったシーンや違和感のあったシーンが本にはなかったことなど、記憶違いには気づけたのですが、アニメ化されていない分は、お見事にすっぽり、あらすじさえ記憶から抜け落ちておりました。

 

『図南の翼』は、これまでの作品にも出てきた恭国王珠晶の物語。

「誰も王にならないなら私がなる」という惹句はずっと覚えていましたが、登極するまでの物語であることすら忘れていました。

正体隠している主要登場人物は別作品にも出てくるので、謎めいたセリフの意味も理解はできましたが、主人公がどう動くか、ワクワクしながら読みました。

そんな中、ラスト近くにまるで御夫君綾辻行人氏『十角館の殺人』のあの一文のような、衝撃の一文がありました。

 

延国の物語『東の海神西の蒼海』は親に捨てられ妖魔に育てられ、初めてできた友を裏切らざるを得なかった少年の物語でもありました。

ラストで、妖魔が人と暮らせる日を待つと言って去っていった青年。後日談として、100年後妖魔を飼うことを認める発布が出されたことが書かれていたので、その後彼は人の世界で暮らしたのだと思っていました。

 

『図南の翼』はおよそ400年後の物語。その中のたった一言で、あれだけ心がすさんでいた彼が人を守る立場になっていたことを表していました。

その一言で私の心はほっこりしたのです。

どんなシーンだったかホントは詳しく書きたいけど、あまりに衝撃的だったのでネタバレ自主規制します。

 

このシーン読んで、やっぱり本職の作家さんの文章力というのは、すごいものだと改めて思いました。

思い返すとどこも本当に計算されつくして書かれていた気がします。

 

感動の中読了して、さあ次だと本棚に手を伸ばすとなぜか手にしたのはまた『東の海神西の蒼海』。

ほえっと残りのシリーズにかけてあった書店のカバーをはがしてみると、3冊もダブり購入しておりました(汗)

ホワイトハート分はすべて図書館で借りて読んだあとに購入したので、その後再読したのかしなかったのか、それさえ覚えていないけど感動のあとだっただけに、ちょっと悲しい発見でした。

 

確定申告に行ってきました

一昨年の3月までは働いていたので、去年の申告には給与所得とか退職金とかがありましたが、今年は保険控除ができるのかよくわからなかったけど、時間だけはあるので無駄足になっても散歩してきたと思えばいいからと、とりあえず申告会場にでかけました。

 

朝一番のピークが過ぎた頃を狙って出かけたのですが、あいにくまだ会場は混んでいました。

番号札を受け取り、なんとか椅子を見つけて読書をしながら気長に待っていると、しばらくして、書類チェック窓口の係員の大きな声が聞こえてきました。

 

「Tさんにとって記載したほうが節税になります」「Tさんが~」

申告者の名前が繰り返し聞こえてきました。

何か押し問答をしているみたいでしたが、待っている人全員に自分の名前が聞こえるのって嫌だな、と思いながらも本を読み続けていると、しばらくして係員さんとTさんがこっちにやって来ました。

 

どうやら、Tさんというこの高齢の男性は、高額医療費の申告をするのに金額の計算書を作らずにきていたらしい。

医療費の計算コーナーで書き方を説明しようとする係員さんと、こんなものを書いたことはない、これまでは全部書いてもらっていた 、と主張する男性。

さっきも同じような押し問答をしていたのでしょうか。

 

何度も同じ話が聞こえてきましたが、係員さんの「そろそろ窓口に戻らないといけないので書き方を説明していいですか。」という声の後、急に静かになったので様子を伺うと係員さん、横向いて沈黙してました。

しばらくして、Tさんも諦めたのか書き方の確認をはじめていました。

 

このやりとりのあと、係員さんは席に戻り、二人同時に呼ばれたと思ったらその後も呼び出しが急に早くなりました。

書類に不備がない人ばかりだったのか、係員さんのチェックが甘くなったのか。

まあ、前者だと思いましょう。

 

スピードアップしたおかげで思いのほか早く順番がきて、無事確定申告終了。

ありがたいことにほんのちょっと、ランチ代くらいですが還付してもらえることになりました。

来年は自宅での申告に挑戦したいです。

退職後の習慣

今週のお題が「習慣にしたいこと・していること」だったので、ちょっと書くことに。少し前回の投稿とかぶるのですがご容赦ください。

 

退職後、気づいたことのひとつに運動不足があります。

1日の歩数が半端なく減りました。当然の結果として体重増加(泣)

そこで始めたのがストレッチと散歩です。

 

運動をほぼしてこなかった私でも無理なくできて(最初はしんどかったけど)、結果が即体感できた整体院AYAのストレッチを毎朝起きてすぐはじめています。

www.youtube.com

どのストレッチも1分未満で始めやすく、途中で声かけしてくれるのが嬉しくて頑張って続けています。

残り時間がはっきりわかるので、あと〇秒で終わるとわかるのも気に入っています。

 

肩甲骨はがしとラジオ体操をした後は、その日の気分でプラスの運動したり、そこでやめたり。しっかり自分を甘やかせています。

お腹引き締め体操なんかやる前にきつかったスカートが、体操後にはくとスルッとはけるほど効果抜群でした。

 

それから食後は脂肪燃焼のためにも天気のいい日は外出。

といってもメインは買い物だったり立ち読み、最近の書店はいすが置いてあるので正しくは座り読みだったり。

なiんとなくぶらぶらして2時間程歩いています。

 

家に閉じこもっているよりいいのか、無駄に時間を費やしているだけなのかはわかりませんが、何日も天気が悪くて家にいると外に出たくなり、毎日外出していると家にいたくなる今日この頃です。

 

元気を出すには何も考えずに体を動かす。元気を回復するためにはお気に入りの本を読む

何もやる気がしない時、ちょっと気分が落ち込んでいるなと思うようなときの「元気を出す方法」は、何も考えすに体を動かすことでしょうか。

掃除や片付けをすることもありますが、手っ取り早いのはYouTubeで簡単なストレッチを選んで真似ることです。

日ごろ動かさない筋肉や筋が伸びると結構気持ちがいいですし、インストラクターの動きに合わせることに集中すると、ほかのことを考えるゆとりがなくなってどんどん頭が空っぽになっていくのがわかります。

ランナーズハイとまではいいませんが、しっかりアドレナリンが出ているのだと思います。

ストレッチ後は、体も頭もいい感じにほぐれた気になり、さあ次は、あれをやってしまおう、って気分になります。

 

母や姉のこと、元夫、もうどうしようもないほど心がざわついて何も手につかないほど落ち込んだ時は、まず感情のままに泣く。

長年、泣いていることを家族に知られないように気を貼る環境にいたので、いつでも声を殺すことなく泣けること自体がストレス発散になっている気がします。

泣いた後の回復呪文はやっぱり読書。

今は、自分の欲望にまっすぐ進むローゼマイン『本好きの下剋上』を手に取ることが多いです。本の世界に没頭して現実世界を一旦忘れてしまう。

そうしてまた、日常に戻ります。

榎田ユウリ『妖琦庵夜話~魔女の鳥籠~』は毒親がテーマでした

科学の進歩によりヒトとほんの少し違うDNAを持つ人が発見され妖人と名付けられた、という設定でその妖人の事件を扱うシリーズ。ラノベで人気の作者さんですが、角川ホラー文庫から出ています。

 

初頭の言葉がこの物語の核を語っています。

「かつて私はあなたの一部だった。小さな小さなたまごとして、あなたの中に存在していた。私は完全にあなたに依存しており、私とあなたは分かちがたいものだった。(中略)

けれど、その奇跡がどうしようもない絶望に感じられてしまうのだ。」

 

娘と同居する母親は、父親が早くに死んで足が不自由。娘に対し、自分を優先するのを当たり前だと思っている。

もう一人の娘の親は、厳しいしつけを娘のためと信じ言葉で攻撃するタイプ。

「あなたのため」「あなたは私の娘」という魔女の呪文で娘をしばる。

ここでタイトルの魔女が毒親であることがはっきりする一文が来る。

「母親というのはたくさんの呪文を持った魔女なのだ」

 

こんな風に追い詰められた二人が出会うことで起きた出来事が語られていくわけで。

母親に支配されていると感じ、苦しんでいても何もできない娘の言葉に思い当たることが多すぎて心に刺さりました。

特に娘と同居している母親のずうずうしさ。娘の彼氏に勝手に会い、結婚して娘が死んだあと私の面倒を見てくれるのかと聞くのを当然と思っている。娘は当然のこと彼氏に別れを告げられるわけで。娘が娘自身を犠牲にしてでも自分の面倒をみることを当然と考えている女性をよく表していました。

 

二人を裏で操る主人公の義弟の母親との関係とかが挿入されていて、成長を止めるために食事をさせないとか、包帯で体をしばるとか、自分と同一視するとか。

母親の、子に対する執着心のおぞましさを強調しているように感じました。

 

この本は探偵小説ではないので、事件自体はあらましがすぐわかるように書かれているのですが、毒親に追い詰められた娘の選択としてあってもおかしくないことだと思いました。

 

この本の参考文献が『母は娘の人生を支配する』1冊だというのが不思議なくらい、娘が親を毒親と感じるツボを押さえているなあ、と思う本でした。